2016 July

平成28年7月26日

Jul 25. 2016 かごしまんまだより

【熊本地震被災地支援活動報告】
先週末(7/23)は、木山サテライトに冷凍庫を届けに行きました。
木山サテライトは益城町文化会館駐車場に臨時にできた民間ボランティアのベースです。重機を扱える人や屋根工事ができる人などけっこうプロな方々が多く、倒壊家屋の片付けや屋根の補修や大切なものの運びだし等、住民さんの依頼に合わせて動いているボランティア集団で、め組JAPANをはじめ複数の団体が集まっています。現地で必要な重機や機材等の貸出しをしたり金銭面で活動を大きく支えたりしているのは日本財団です。
しかしながら全国からの支援物資は木山サテライトへは届きません。支援物資はあくまで被災地と被災地の住民さんに向けられたものだからです。
日本財団等から金銭面でのバックアップを受けているとはいえ、『自分たちのためのもの』や『高価で高品質な品物』はなかなか要請を出しにくくそして予算がおりにくいものです。
例えば『UVブラック土嚢袋』。熊本では多くの家の屋根が損壊しました。雨漏れを防ぐためブルーシートで屋根を覆い、ブルーシートが飛ばないように土嚢袋にガラや砂を入れてとロープで止めます。支給される土嚢袋やロープは白色の普通のものなので、梅雨の雨や夏の日差しにやられてどんどん破れていき、また屋根の上で大変な作業をやり直ししなければならなくなりました。雨や紫外線に強くて高価な『UVブラック土嚢袋』はなかなか支給されません。
また、熊本の中でも益城町は盆地で、夏はかなりの暑さ(というか痛いほどの熱い日差しです)になります。屋根の上は目玉焼きが焼けるほどの熱を持ち、屋外作業は熱さとの戦いになります。木山サテライトにも水やお茶の差し入れはたくさんあります。でも炎天下での重労働を支えるキーンと冷えた氷や炭酸飲料がありません。
こういう『自分たちのためのもの』や『高価で高品質な品物』こそ、つらい作業を支えるモチベーションです。
休憩のときに飲むキーンと冷たいサイダーが、次の作業への意欲を支えるのです。
かごしまんま災害等支援基金ではこういうものを購入して届けています。
「益城町の屋根にある黒い土嚢袋は、かごしまんまさんから頂いたUVブラック土嚢袋なんですよ」と感謝されました。冷凍庫も氷もサイダーも、真っ黒に日焼けしたボランティアの方々からとても喜ばれました。嬉しいですね!心があったかくなりますね!
被災地のために頑張る木山サテライトを、これからも継続できる「無理のない」応援をしていきたいと思います(無理なく継続するために交通費・食費等の支援活動の日の諸経費は基金から使わせて頂いています)。
どうか皆さん、これからも継続してかごしまんま災害支援等基金への「無理のない」ご支援をお願いします。

【お盆休み】
8月11日~8月16日は弊社お盆休みとなります。
お盆前最終発送日は8月9日(火)、お盆明け初回発送日は8月19日(金)です。8月19日発送分の締切は8月9日13時となります。定期便ご利用の方で、ダブル野菜セットへの変更や休止・発送日変更・発送先変更等のご希望も承ります。各発送日の締切前までにご連絡下さいますようお願いします。
今日も皆様の冷蔵庫と食卓が安心と幸せで一杯になりますように。同じ空の下、心から心から願っています。

Edit by 山下 理江

平成28年7月20日

Jul 19. 2016 かごしまんまだより

【梅の木】
先週末は、熊本地震で大きな被害を受けた益城町にあるボランティアベース『木山サテライト』へ物資を届けに行きました。そこで手配やスケジュール管理等をしているみゆきさんに聴いた実話をご紹介します。
益城町住民さんがボランティア依頼する内容は、瓦が落ちて雨漏れの恐れがある屋根にブルーシートを被せる、倒壊家屋の中からお位牌や写真や大切なものを取出す、めちゃめちゃの家の中を片づけるなど様々です。しかし時には「切れた電灯を交換して欲しい」というようなことを依頼してこられる方もいます。そういう依頼の数々の優先順位を決めて手配したりやんわりとおことわりしたりしながら日々激務に追われるみゆきさん。
ある日、1人の男性が受付に訪れて「姉の家の梅の木を助けて欲しい」と依頼されました。みゆきさんは心の中で「うーむ梅の木か・・・」と思いながら話を聴きました。
その男性の姉夫婦の家は全壊でした。年老いたご夫婦で、4月14日の夜の前震が起きて避難所に向かいましたが人が多くてやむなく自分の家に戻り、比較的安全そうな玄関に布団を敷いて寝ることにしました。そして16日の夜中に起きた本震で、寝ていたご夫婦の上に柱が落ちてきてご主人に直撃しました。奥さんが声をかけても動かず返事もありません。奥さんにも柱が当たり負傷していましたが翌日にレスキューが来るまで一晩中ご主人に声をかけ続け、そのまま病院へ搬送、入院。搬送先の病院でご主人の死を知らされ、40日間の入院生活を終えて退院されたのでした。辛い現実を受け止め、弟さんに連れて行ってもらって倒壊した自分の家を見たお姉さんが口にしたのは「かわいそう!お父さんと一緒に植えた梅の木が弱っている!」でした。それは55年前、結婚記念として植えた梅でした。大木に育った梅の木に、倒壊家屋の軒が重くのしかかり枝が折れていたのでした。
7月22日に合同のお葬式があるので、それまでにどうしてもなんとかしてあげたい。そう思った弟さんが、梅の木をどうか助けて欲しいと木山サテライトを訪ねてきたのでした。みゆきさんは話を聴きながら涙がこぼれます。ちょうど1軒目の現場を終えたボランティア仲間たちも休憩に入るところで話を聴いていました。机には未処理の依頼票が積み上げられています。ホワイトボードにはこれからの作業予定も書かれています。みゆきさんは困って仲間を見ました。するとみんな無言で頷いたり親指を立てたりOKのサイン。休憩を返上ですぐに現場に行き、「重機は入らないから人力だね!今からやろう」とチェーンソーや丸鋸、バールなどを持ってすぐに動いてくれました。「まかせといて!」「何とか助けてあげたいね」「弟さんの想いもお姉さんの願いも叶えてあげたいね」と。それから「無事救出~!」とドロドロになった仲間たちが作業を終えて帰ってきました。軒を切り取って梅の木に負荷がかからないようにしたこと。倒れていた電柱を取り除いて家の土壁を切りとったのでみんなでドロドロになったこと。折れた枝の部分は切り口を揃えてきたこと。嬉しそうにみゆきさんに報告する仲間の顔はみんな輝いていました。「なんて素敵な仲間なのだろう・・・」みゆきさんは心からそう思ったそうです。
梅の木の救出作戦は、私が木山サテライトへ行った日も続いていました。ボランティアの女性がチューブタイプの薬を持って「梅の枝の切り口にこれを塗ってきます。梅の木は夏に切るのは良くないらしいから!」とみゆきさんに報告し、そして作業に走っていきました。
『梅の木』はもし公的機関に依頼したら受付順になって、お葬式に間に合わなかったかもしれません。もしかしたらやってくれないかもしれません。民間だからこそ迅速に臨機応変に動けるのです。こうした民間ボランティアベースに必要物資や差し入れを随時提供し支えることはとても意味があり重要な事だと思います。今後も微力ながら続けていきたいなーと思っています。

Edit by 山下 理江

平成28年7月15日

Jul 14. 2016 かごしまんまだより

【原発の一時停止と点検を訴える鹿児島県知事誕生】
今回の参院選については色々と悲しく悔しく思うところはありますが、同日に行われた鹿児島県知事選では原発の一時停止と点検を訴えた三反園氏が現職の伊藤知事を破り初当選しました。これは大きな一歩ですね。
ここで伊藤知事についておさらいしましょう。伊藤知事は東日本大震災後、全国で一番最初に原発の再稼働に合意したり、熊本地震があっても「原発は大丈夫♡」と豪語したり、「女子高生にサイン・コサイン・タンジェントを教えて意味があるのか」と発言したり、利用者が少ない鹿児島-上海線の飛行機を廃止させないように県職員を1000人規模で引き連れて上海へ視察(という名の無駄使い)をしたり、商業施設ドルフィンポートを潰して豪華な体育館を立てようとして多くの県民から反感を買いました。
しかし鹿児島は風土的に保守基盤が固い土地ですから今回も伊藤陣営の圧勝かと思われていました。さすがに女性蔑視発言や公費の無駄遣いばかりしていては離れていく人が多かったようです。
三反園氏の当選は涙が出るほど嬉しかったです。川内原発に万が一のことがあれば、かごしまんまはおろか九州の農業・漁業の終了を意味することでしょう。九州の食は日本の生命線です。本当は一時停止ではなく即廃炉を切に望むところではありますが、まずは三反園氏が「新しい解釈」などというとんでもない事を平気で言って公約を破ったりしないように、一県民として目を光らせながら川内原発が停止する日を待ちたいと思います。

【先週末は鹿屋周辺は豪雨でした】
関東では水不足が深刻なのに、こちら鹿屋市では雨が降り過ぎで避難警報が出されたほどのひどい雨の週末でした。市街地の道路はウユニ塩湖のようになり、あちこちの下水道から水が噴水のようにゴボゴボしていました。この大雨と気温と湿度の高さで多くの野菜が傷みました。雨に打たれ過ぎてゴーヤは収穫前に多くの先端が溶けてしまいました。乾燥した土地を好むトマトやミニトマトは、梅雨時期に多くが水分を含み過ぎてパンパンになって皮が裂けてしまい売り物にならなくなります。春に収穫して貯蔵していた玉ねぎや人参は品質も低下し量も少なくなりますので今週か来週で終わりです。しかしこの暑さに導かれてオクラやナスやキュウリが出始めました。これからの野菜セットは真夏の野菜へとシフトしていきます。灼熱の鹿児島ではなかなか11品種揃わないので、屋内栽培のモヤシが入る時期もあります。無・減農薬栽培では化学肥料や農薬を極力使用しないので旬の野菜以外はなかなか育ちません。キャベツや玉ねぎ・ニンジンなどのレギュラー選手は姿を消し、葉物も少なくなっていきますが、どうぞご理解よろしくお願いします。

【新システム移行が遅れに遅れています、すみません】
5月から「近いうち新ホームページシステムに移行します」と発表していますが、ちょこちょこ手直しを繰り返していてなかなかシステムが完成しません。もう少し先になりそうです。すみません。
新システムでは、ご注文締切前であれば注文内容の追加変更やキャンセルをマイページからできるようにしたり、アレルギーなどご要望を一度登録すればご注文ごとに書かなくてすむようにしたり、色々便利になるように工夫中です。新システムに移行する際は2週間前にはメールやかごしまんまだよりでお知らせします。その際は、誠にお手数ではございますがマイページログインのパスワードが一度リセットされますので、新たに設定をお願いします。どうぞよろしくお願い申し上げます。

Edit by 山下 理江

平成28年7月5日

Jul 4. 2016 かごしまんまだより

【ぐるめ畑さんの若手ホープ、古川さん秘話】
今回は、減農薬・無農薬栽培野菜生産者のぐるめ畑さんで働く3児のパパ古川さん(30歳代前半)をご紹介します。
古川さんは2011年3月までは奥さまと1歳の赤ちゃんと共に神奈川県に住んでいました。しかし311のあの東日本大震災が起きて会社の同僚を家に送る際、いつもは通過に1時間もかからない高速道路が5時間もかかるほどの大渋滞になってしまいました。そしてお店に行けば当たり前のように手に入った安心な水や野菜が店頭からすっかり消えてしまうのを目の当たりにし、「赤ちゃんと奥さんを抱える中で、関東でこれ以上なにかあったら逃げ遅れる」という危機感が湧き、3月14日の夜には神奈川を出発して知人のいる和歌山へ向かっていたとのことです。はじめは和歌山で定住しようと奮闘しましたがなかなか難しく、また叔母さんが桜島へ嫁いでいたこともあって、その年の6月にはるばる鹿児島へ来たのでした。叔母さんが嫁ぎ先で苦労したこともあって、移住にご両親たちは大反対だったそうです。でも古川さんは311をきっかけに、「店に行ってお金を出せばあたりまえのように手に入る野菜や食材は実は当たり前のものではなく、第1次産業に従事する人たちに支えられている。衣食住の中でも一番大事な『食』という第1次産業に従事して、そして何かもしあっても自分で野菜とかが作れて食べていけるような、そんなことを学んで自分の職にしていきたい」と考えるようになりました。
神奈川での仕事を捨てて、いきなり家族ごと移住することに不安はなかったのでしょうか。
古川さんはこう答えてくれました。「そりゃ、こっちへ来たら所得がめっちゃ低くなるので不安がありました。しかしそこは価値観の転換ができるかどうかなんですよね。関東では電車に乗って通勤なので衣服や持ち物に気を遣う。ラッシュにもまれる。そして色んな素敵なお店があって物欲を刺激される。ちょこちょこ毎日何かしら買ったり食べたりするんですよ。でもここ鹿屋にいると、この畑仕事の格好そのまま家から着て車に乗って仕事をして、帰りもこのまま車に乗って直行で帰宅する、みたいな(笑)。お金、ぜんぜん減りませんね。んで、野菜や食べ物はめちゃくちゃ美味い。自然も温泉もいっぱい。時間の融通がきく。都会では手に入らないものがたくさんある。価値観の転換ができるかどうか、だと思います。まあ僕もまだ昔の価値観にとらわれてしまうこともありますけどね。仕事も、毎日泥と汗にまみれていますけれどめっちゃ生きている感じがしてイイっすよ。でも大切なことは、どこに住むかとかではなく、家族で笑って過ごしていけるか、だと思います。残る選択をするにしても移住するにしてもそこに住んで生きていく選択をした時、笑って毎日が送れるか、だと思います。」
移住当時は1歳の赤ちゃんだけだった古川さんも、今では3児のパパです。真っ黒に日焼けして笑う古川さんに、日本の農業の未来も捨てたもんじゃないな、と感じました。
梅雨が明けていきなり暑さのフルスロットルになった鹿屋市。心配して各生産者さんのところへ行きましたら、古川さんから思いもかけずお話を伺えて色々勉強になりました。
野菜への暑さの影響を尋ねたところ、古川さんは「いやあ実は野菜にとっては梅雨の時期の方が大変でした。ジメジメして病気が一気に広がってしまうんです。農薬は使えないですしね~。梅雨が明けてホッとしました。暑さ対策は屋根などに何か被せたり水かけたりすればなんとかしのげますから。」とのことでした。おなじみの小松菜などの他に、試験的にブロッコリーやバジル、パクチーなども栽培していました。楽しみですね~♪
常に挑戦を続けるぐるめ畑さん。ありがとうございます。

Edit by 山下 理江

平成28年6月28日

Jul 4. 2016 かごしまんまだより

【ご飯がとまらないシソ漬レシピ秘話】
先週の野菜セットには青シソが久しぶりに入ったので『ご飯がとまらないシソ漬』レシピをご紹介したところ、大好評で多くの方が「つくったよー!」と報告してくださいました。
このレシピをご紹介する度に必ず思い出すのが、千葉にいた頃お世話になった成田市の無農薬栽培野菜農家のSさんです。ご近所のママ友さんに紹介され、Sさんの野菜セットを毎週買い始めたのがSさんとの出会いです。
配送代金を浮かすため、私の住む印西市からSさんの成田市まで毎週野菜セットを取りに行きました。それまで『野菜セット』なるものを買ったことがなく、季節に関係なく好きな野菜を買って好きなメニューで料理をしていた私にとって、Sさんの野菜セットは最初のうちは本当に慣れないものでした。ジャガ芋の季節になるとジャガ芋がずーっと続く。虫の穴がたくさんあって、ときには虫も入っている。葉物がしょんぼりと萎れている。自分では買ったことないような野菜が入っている。経験不足の私は、野菜セットを取りに行くたびSさんに文句を言っていました。「ずーっとジャガ芋が続いて困る。毎週食べきれなくて残ってしまう。」「虫の穴がたくさんあって気持ち悪い」「なんでこんなにしょんぼり萎んでいるのか」「ゴーヤは毎週は食べられない」「キャベツや白菜はないのか」・・・・。今思い出すと困ったお客さんです(笑)。でもSさんはそのつど丁寧に説明してくださいました。「一つの場所では収穫できる野菜が季節ごとに決まってきてしまうものなの。夏には夏の野菜ができて、冬には冬の野菜しかできない。野菜にはそれぞれ旬があって、旬の間はずーっとその野菜がとれ続け、旬が終わったらピタリとその野菜が食べられなくなる。そういうものなの。全国から野菜が集まるスーパーでは自分の好きなように色々野菜を選べるけど、産地限定にするとその産地の旬に合わせた野菜を食べ続けなければならないのよ。自分で野菜作って食べている人はみんなそうよ。」「無農薬栽培では虫を1匹1匹とっていくのよ。農薬をかける方が簡単で綺麗な野菜ができるけど、どっちが身体に良いと思う?」「無農薬栽培の野菜や野の花は、収穫してすぐに萎んでしまうものもあるのよ。古いわけじゃないのよ。水に漬ければ元に戻るから大丈夫。」「今の時期はこれしかつくれないのよ。キャベツができれば苦労しないよ。夏に冬野菜を作ることは不可能だし、それぞれに栄養分も違うから食べる人間にとっても不自然なのよ。夏野菜には身体を冷やしたり夏バテを軽減してくれる栄養があって、冬野菜には身体をあたためたり風邪を予防してくれる栄養があるのよ。」と私につきあって丁寧に答えてくれました。そんな私達のすぐ頭上を、爆音で飛行機が通って会話が中断されます。ジャンプすれば手が届きそうなくらいの高さで飛行機がなめるように通り過ぎていくのをいつもSさんは苦々しく見送りました。「この爆音で豚も出生率が悪くなったし、鶏も卵の数が減ったのよ。動物も人間もすごいストレスなのよ。」
そう語るSさんは1970年代の成田空港建設反対を最後までされてきた方々のお一人でした。Sさんは国から圧力を受けましたが畑を絶対に売らなかったため、成田空港の滑走路はSさんの畑を避ける不自然な形になりました。
Sさんを知るまでは成田闘争は過激な人々の運動かと思っていましたが、実際のSさんは報道等から受けたイメージとは全然違う、ただただ自然と動物と野菜を愛する優しいお人柄の方でした。
そんなSさんから教わったレシピが『シソ漬』でした。例のごとく「シソなんて刺身とかの飾りじゃないですか!こんなにたくさん食べられません!」と文句を言う私に「騙されたと思って作ってみてね」と笑顔で渡してくれたレシピでした。シソ嫌いだった私を変えた、魔法のレシピでした。もう10年も前のことです。
Sさんはかごしまんまの原点です。同じ空の下で今、Sさんはどうお過ごしなのでしょうか。シソ漬を見るたびに思い出すのです。

Edit by 山下 理江