平成28年7月5日

Jul 4. 2016 かごしまんまだより

【ぐるめ畑さんの若手ホープ、古川さん秘話】
今回は、減農薬・無農薬栽培野菜生産者のぐるめ畑さんで働く3児のパパ古川さん(30歳代前半)をご紹介します。
古川さんは2011年3月までは奥さまと1歳の赤ちゃんと共に神奈川県に住んでいました。しかし311のあの東日本大震災が起きて会社の同僚を家に送る際、いつもは通過に1時間もかからない高速道路が5時間もかかるほどの大渋滞になってしまいました。そしてお店に行けば当たり前のように手に入った安心な水や野菜が店頭からすっかり消えてしまうのを目の当たりにし、「赤ちゃんと奥さんを抱える中で、関東でこれ以上なにかあったら逃げ遅れる」という危機感が湧き、3月14日の夜には神奈川を出発して知人のいる和歌山へ向かっていたとのことです。はじめは和歌山で定住しようと奮闘しましたがなかなか難しく、また叔母さんが桜島へ嫁いでいたこともあって、その年の6月にはるばる鹿児島へ来たのでした。叔母さんが嫁ぎ先で苦労したこともあって、移住にご両親たちは大反対だったそうです。でも古川さんは311をきっかけに、「店に行ってお金を出せばあたりまえのように手に入る野菜や食材は実は当たり前のものではなく、第1次産業に従事する人たちに支えられている。衣食住の中でも一番大事な『食』という第1次産業に従事して、そして何かもしあっても自分で野菜とかが作れて食べていけるような、そんなことを学んで自分の職にしていきたい」と考えるようになりました。
神奈川での仕事を捨てて、いきなり家族ごと移住することに不安はなかったのでしょうか。
古川さんはこう答えてくれました。「そりゃ、こっちへ来たら所得がめっちゃ低くなるので不安がありました。しかしそこは価値観の転換ができるかどうかなんですよね。関東では電車に乗って通勤なので衣服や持ち物に気を遣う。ラッシュにもまれる。そして色んな素敵なお店があって物欲を刺激される。ちょこちょこ毎日何かしら買ったり食べたりするんですよ。でもここ鹿屋にいると、この畑仕事の格好そのまま家から着て車に乗って仕事をして、帰りもこのまま車に乗って直行で帰宅する、みたいな(笑)。お金、ぜんぜん減りませんね。んで、野菜や食べ物はめちゃくちゃ美味い。自然も温泉もいっぱい。時間の融通がきく。都会では手に入らないものがたくさんある。価値観の転換ができるかどうか、だと思います。まあ僕もまだ昔の価値観にとらわれてしまうこともありますけどね。仕事も、毎日泥と汗にまみれていますけれどめっちゃ生きている感じがしてイイっすよ。でも大切なことは、どこに住むかとかではなく、家族で笑って過ごしていけるか、だと思います。残る選択をするにしても移住するにしてもそこに住んで生きていく選択をした時、笑って毎日が送れるか、だと思います。」
移住当時は1歳の赤ちゃんだけだった古川さんも、今では3児のパパです。真っ黒に日焼けして笑う古川さんに、日本の農業の未来も捨てたもんじゃないな、と感じました。
梅雨が明けていきなり暑さのフルスロットルになった鹿屋市。心配して各生産者さんのところへ行きましたら、古川さんから思いもかけずお話を伺えて色々勉強になりました。
野菜への暑さの影響を尋ねたところ、古川さんは「いやあ実は野菜にとっては梅雨の時期の方が大変でした。ジメジメして病気が一気に広がってしまうんです。農薬は使えないですしね~。梅雨が明けてホッとしました。暑さ対策は屋根などに何か被せたり水かけたりすればなんとかしのげますから。」とのことでした。おなじみの小松菜などの他に、試験的にブロッコリーやバジル、パクチーなども栽培していました。楽しみですね~♪
常に挑戦を続けるぐるめ畑さん。ありがとうございます。

Edit by 山下 理江