平成30年3月9日

Mar 8. 2018 かごしまんまだより

【東日本大震災から7年ですね】
2011年3月11日。あの日の、あの1週間の記憶が、今も頭に浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
千葉に住んでいた私は、3月15日小雨の中傘をささずに子供二人連れてピアノ教室まで歩いてしまったことをとても後悔しています。すぐ避難しなかったこと、牛乳を5月まで家族で飲んでしまっていたことなど、後悔していることが色々あります。
今では、放射能を避けて産地を気にしていることを人に話すと「もうすっかり忘れていた、まだ影響あるの?」と驚かれます。説明し始めるとだいたい相手の顔色が変わるのでもうあんまり話さなくなりました。
世間一般では東日本大震災や原発事故は過去のものになりつつあり、ほとんどの人が何にも気にせずにいるようで、同じ時間軸を過ごしているのに違う世界で生きているように感じます。
線量が半分下がったからと、避難区域をどんどん解除しています。下がった原因は、半減期が3年程度のセシウム134が半減期を迎えたからで、セシウム137はじめ多くの各種はまだ放射線量が高いままです。しかし線量計のほとんどはセシウムしか測れません。線量計の数値が半減したので安心していい、というのはおかしい気がします。ストロンチウムなど放射能全体の実態は未だ不明なままです。医療機関では明確に放射線管理区域での行動が決められているのに、それより線量が高い地域での日常生活が大丈夫とされる現実はやはりおかしいです。東日本での子供たちの甲状腺がんについても現段階で関係性をきっぱり否定する違和感。九州大学チームが福島原発由来の核燃料粒子を大熊町で発見と発表していますが、報道したのは赤旗のみ。放射能被害は葬られ、なかったことにされつつあるようです。
『なかったことにされる被害』というのは実はけっこうあって、古くは南京事件や慰安婦問題。南京には30万人いなかったから虐殺自体もなかったという人や「僕は見なかった、だから虐殺や慰安婦はなかった」と断言が今も後をたちません。南京周辺の人口とあわせれば30万人という数字もありえますし、事実というのは見たり経験したりした人の話や写真や物証から判明することであって、見なかった人の証言というのは違和感があります。交通事故などの事故現場にいても目撃しなかった人の話を聞いているようなものです。
水俣病も、加害企業と国が認めたのは発生から10年経ってからでした。それまではずっと国や加害企業に有利な御用学者からの説明や仮説や研究成果で水俣病は否定され続けました。有志の熊本大学の研究者たちの地道な努力によって原因と加害企業が突き止められてはじめてやっと認めました。
最近では子宮頸がんワクチンの副作用被害。これもまだ日本では副作用と認められていません。ワクチンを受けて体調が激変したのにかかわらず「ワクチンで計算ができなくなったりけいれんがずっと起こるようになったりするわけがない」と医者が否定し国も認めていません。治療法も薬も救済もなく苦しんでいる人が全国にいます。
こういう国ですから、福島原発事故と甲状腺がんの関係も決して認めず、再発さえも「過剰診断によるものだ」と破たんしたロジックを平気で言う人がいるのです。国をあげて、放射能被害はなかったことにしようとしています。
こういう日本にいる限り私達はこれからもひっそりと淡々と『できる範囲で気を付ける』ということしかできません。
なんて生きづらい国なのでしょうか。でも気づけて『こっち側の世界』に来れてよかったなと思います。そんな7年目。今日も皆様の冷蔵庫と食卓が安心と幸せで一杯になりますように。同じ空の下、心から心から願っています。

Edit by 山下 理江