【吉開のかまぼこさんが6月末で廃業】
とても残念なお知らせです。
吉開のかまぼこさんが6月20日をもってかまぼこづくりを終えることになりました。
明治23年創業で、3代目の現社長も50年以上かまぼこづくりをされていましたが、腰痛の悪化と後継者・従事者不足のために決断されたとのことです。
吉開社長の胸中を思うと言葉が出てきません。本物を作る生産者さんが消えつつあるご時世が非常に悲しいです。
つきましては6月22日発送分をもちまして、吉開さんの商品(かまぼこ、ちくわ、てんぷら・・・我が家の子供たちも大好きなものばかり涙)は販売終了とさせて頂きます。
「6月22日分まで、皆様からのたくさんのご注文をお待ちしています!」とのことです(吉開社長談)。
吉開さんへの『おつかれさまでしたメッセージ』も承ります。
ご注文時のメッセージに添えて頂ければ吉開さんに必ずお届けしますので、ぜひご注文と共にメッセージもよろしくお願い申し上げます!
【水俣病の歴史を辿ると放射能やワクチンの行方も予測できる~②歴史は繰り返す】
社会の教科書で習ったので過去の公害問題の一つかと思われがちですが、水俣病は現在進行形です。
各地で患者認定申請や損害賠償を求める訴訟が続いている状況です。
それにもかかわらず今月5月2日の水俣病犠牲者慰霊式典の直後、加害企業チッソの社長が「水俣病特別措置法の救済は終了した」と発言し、被害者団体は猛反発してチッソに抗議しました。
水俣病は、加害企業チッソが水銀を含んだ排水を1932年から1968年まで流し続けたことによる公害です。
まず1954年に「水俣の猫が皆気が狂ったようになって死んでしまいネズミが激増した。猫を再び飼ってもどんどん死んでしまい、とうとう市民が役所に泣きついてきた」というニュースが熊本新聞に初めて報道されます。その前から水俣湾では魚がたくさん死に、海辺の鳥たちは飛べなくなってしまう現象が出始めていました。
やがて人間にも症状が出始め、1956年には原因不明の病として水俣病が公式確認されます。
国や県は、当初から魚介類の接種が原因であることがわかっていたにもかかわらず、食品衛生法を用いて水俣湾産魚介類の摂食禁止することも水質保全法と工場排水規制法による規制権限行使もしませんでした。
チッソも、チッソ附属病院の院長による猫実験によって1959年には自社の工場排水が汚染源と知っていました。
しかし化学業界の協力も得て東工大教授のアミン中毒説や日本化学工業会理事の爆薬説を展開させ、自社の排水の水銀が原因であるとは認めませんでした(原発に関する御用学者登場と同じですね)。
そして工場排水路にサイクレーターを設置し、その完工式では社長がサイクレーターを通した排水をコップに入れて飲み、安全な排水を世間へ強烈に演出しました(原発事故後も誰かが浄化した水を飲んでいましたね)。
サイクレーターはもともと水銀を除去する目的の装置ではなかったので、実際には被害がどんどん拡がっていきます(原発事故後の各地ゴミ焼却炉のバグフィルター設置と同じですね)。
サイクレーターの設置と「将来、原因が工場排水と決定しても新たな補償要求は一切しない」という非道な契約書を交わした上でのチッソから患者への僅すぎる見舞金が支払われたことで「水俣病は終わった」ムードになり、世間では水俣病は忘れ去られました。
しかし被害者は病の為に手足が震えて涎を流し、寝たきりになって仕事もお金も失い、少なすぎる見舞金に生活は困窮を極め亡くなっていきました。
やがて新潟でも水俣病が発生することで、支援と団結の輪が新潟や水俣周辺からわき上がり、工場排水中の水銀が原因だということも証明され始め、現在も続く長い訴訟や補償問題が始まっていきます。
1968年、ようやく国が「水俣病はチッソの工場排水に含まれたメチル水銀化合物によって生じたものと認められる」という公式見解を発表しました。その年まで実に36年もの間、チッソは有害な排水を流し続けました。
行政とチッソは、被害者や遺族には現在ももめ続けるような金額しか補償していません。
症状に苦しんでいるのに、水俣病認定すらもされていない人もたくさんいます(原発事故補償と同じですね)。
しかし水俣湾を14年の期間と485億円の費用をかけて東京ドーム13.5個分の広い埋め立て地にし、1990年に「エコパーク水俣」という公園を完成させます(原発事故による除染と同じ利権構造ですね)。
そしてチッソは分社化したり公的支援を受けたりして現在も名前を変えて残っています(原発事故があったのに電力会社は倒産せず、私たちの電気代が上がっている状況と同じですね)。
1997年には熊本県は「水俣湾の魚介類は安全である」と宣言します。
しかし海と埋立地との境界(護岸部分)に隙間(すきま)なく並べて封じ込めている『鋼矢板(こうやいた)セル』と呼ばれる直径29mの巨大な円筒の、設計時の耐用年数はおよそ50年。仮に大型地震や津波等で鋼矢板セルが破損すれば、再び水銀が流出して水俣湾を汚染する等の危険性をはらんでいます。それなのになぜか最近になって耐用年数をのばす発言がありました(原発と同じ構造ですね)。
水俣病公式確認から62年が経過した現在、当時漁師だった多くの人々は職を奪われ、夏みかんを栽培したりして新たな水俣ブランドを作り、新たな人生を歩んでいます。
そして今も病に苦しむ人々がいます。
・・・水俣病の歴史は福島原発事故のそれと多く重なるような気がしてなりません。
311のあの忌まわしい震災から7年過ぎました。TVや新聞ではもう原発事故は収束したかのような印象です。
歴史が教える多くの公害事件の、被害が明るみに出るのは数年後。
それまでは加害企業や国からの安全キャンペーンが繰り返され、被害が拡がります。
そして被害地域のコミュニティの分断と差別(水俣も福島も)。
水俣病の問題は決して過去の話ではありません。現在進行形なのです。今の行政と企業の姿勢そのものです。
この国は、ハンセン病も水俣病も早い段階で真実を知りながらも長い間見捨ててきました。
これからどのような原発事故やワクチン被害などが出てもおそらく同じ経過をたどることでしょう。
被害者になって訴訟しても十分な補償はないでしょう。
またこの国は、憲法や各種法を少しずつ変えて私たちの平和や生活をどんどん脅かしていっているように思います。
私たちは過去の歴史をふまえた上で、今どう生きるか、いや、どう生き抜くかを真剣に考えていかねばならないような気がしてなりません。
長文のおたよりになってしまい、大変申し訳ございません。
今日も皆様の冷蔵庫と食卓が安心と幸せで一杯になりますように。同じ空の下、心から心から願っています。