平成25年12月17日(火)

Dec 17. 2013 かごしまんまだより

早いもので、12月12日に母子移住して丸2年になりました。夫と印西牧の原駅で別れた場面は今でも鮮明に思い出せます。それから一度も千葉に帰っていません。私の移住は残酷な理由でした。311後、多くの人と同じように色々な情報に翻弄されつつでも移住するという決心まではつかずに毎日悩み苦しみながら生きていました。鹿児島の両親から送られてくる水や野菜や食材に涙をこぼして感謝し、洗濯物や布団は一切外に干さず、園の遠足や運動会は何かの理由を付けて休んで、牛乳や給食をどうするか悶々としていました。そんな夏のある日、鹿児島の両親から電話が鳴りました。「あのね、お父さん、膵癌なんだって。肺にも転移しているって。」もう内容はそれしか覚えていません。転移のある膵臓癌への希望はどこを探してもありませんでした。私はその頃、北米輸入住宅会社で名ばかりの建築士兼宅建主任者をしていて、ボスに別会社を作ってもらいメープルシロップの輸入プロジェクトをしていました。311直後にカナダへ行って商談し、某大手カタログギフト会社とも契約して自分のメープルシロップがまさに世に出ようとしていた頃の事でした。
何日も何日もいっぱい悩んでいっぱい泣いて、たくさんの事を天秤にかけて出した答えが「鹿児島に行って父を家で看取り、私と同じ気持ちで苦しんでいる人の気持ちを少しでも軽くするような会社をつくろう。そうすれば今のすべてを捨てても私は歩いていける」ということでした。お金はありませんでした。でも夫は一つ返事で賛成してくれてその冬のボーナスの50万円を会社設立資金として貸してくれました(あ!まだ返してない)。そして2年前の12月、鹿児島に来ました。だからかごしまんまの資本金は50万円です。あとは理念と計画を書いたパワーポイントを持って鹿児島の商工会議所と銀行に行き、お金を借りてスタートしました。それがかごしまんまです。父は最初の野菜セットの発送を見届けてすぐに逝きました。鹿児島へ来ても結局なんの親孝行もできなかったのですが、それを父に見せることができて本当によかったなと今でも思います。父のあの時の言葉、「よかったな、これで安心して野菜を食べてもらえるな」は忘れられません。
メープルシロッププロジェクトは私が会社を辞めたことで全て白紙になってしまい、幻に終わりました。でも私は鹿児島に来てかごしまんまを立ち上げてこうして今いることを選択して心からよかったと思います。先が見えない未来でも、ツイッターやご注文時のメッセージやメール、お客様の声などから頂ける皆様の声に救われ続ける毎日だからです。同じ気持ちで苦しい毎日を過ごす皆様からの「ありがとう」に救われ続けた2年間でした。心の底から感謝いたします。そして、これからも同じ気持ちでかごしまんまを続けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

【ヤマト運輸の一連の不祥事報道による規定強化の件】
先日、クール便の温度帯管理不祥事の報道があったことを受け、ヤマト運輸がクール便規定厳守の強化をしています。今月からかごしまんまの発送物もクール便では15kgを越えると荷物を引き取ってもらえません。お客様には大変ご不自由ご迷惑をおかけしますが、ヤマト運輸業務改善の為どうぞご理解ご協力お願い申し上げます。

かごしまんまの野菜は農薬や化学肥料を極力使用しないので、見た目も悪く市場のものより輸送に弱いです。もしかしたらお手元に届く際に虫が一緒に眠っているかもしれません。50km離れた桜島からの灰もかぶっています。すみませんが丁寧に洗って食べてください。減農薬栽培野菜は見た目が悪いですが、穴が開いていたり形が悪かったり少し割れが入っていたりしても食べられます。どうぞご理解、ご賛同くださいますようお願い申し上げます。野菜に重大な腐敗または凍結等ございましたら遠慮なくお申し出ください。
その他の商品も安全性とおいしさにこだわりぬいたものばかりです。一般の商品よりも不格好なものばかり。しかし全て添加物嫌いの私と避難ママみきちゃんが厳しい目と舌で選んだものばかりです。ここなら安心して買い物ができる。スーパーに並ぶ食品よりもちょっと高くなるかもしれない、でもこれが本当の食品の味。そんなものをかごしまんまでは提供し続けていきたいと願います。

Edit by 山下 理江