【子供の居場所】
去年の秋のある日、私は突然猛烈な眠気に襲われて30分ほど横になり、そして眠りから覚めた時からパニック障害(のようなもの)になりました。それから1月までは症状がひどく、時計の針の音のような小さな音も含む一切の物音、人の動き、車の運転、光、・・・・色々な物事がとても怖くなり毎日生きるだけで精いっぱいでした。あまり記憶がありません。母親やスタッフをはじめ周囲の理解や皆様のアドバイスのおかげで病院へ行くことも薬を飲むこともなく今ではだいぶ症状がなくなりました。
でもそうした母親の不安定な状況は子供に大変な負担を強いてしまっていました。発症してから1週間くらい経って学校や学童やピアノの先生から娘の様子が最近不安定でおかしいとの連絡を受けました。そしてピアノの先生がこう提案してくださいました、「よかったらしばらく学校帰りから仕事終わるころまでうちで預かりましょうか」と。私はびっくりしました。そしてピアノの先生に自分の症状のことを打ち明けました。それから娘はしばらくの間、学校帰りはピアノの先生の家でピアノをしたり宿題したり本を読んで過ごしました。12月にはコンクールがあり、運転できない私に代わってピアノの先生が会場まで車で送迎してくださり、コンクールもずっと寄り添ってくださいました。そうして娘は元のように明るく元気になることができました。娘は、ピアノとその先生に居場所を見出し救われたのでした。
311以降、子供に園や学校の給食や牛乳やおやつをやめて持参したり、給食の一部の材料を食べないように教えているママは多いと思います。でもご自身がご近所の集まりや同窓会などで出るお菓子や食べ物や飲み物を辞退するのにとても心のエネルギーを使うのではないでしょうか。子供もおそらく同じです。いや、子供時代の感情や行動は大人のそれよりもずっとむき出しなので、異端なものに対する興味やなにげない言動を容赦なく無邪気に投げます。教室でたったひとり違うことをする、自分が子供時代にははたしてそれを簡単にできたでしょうか。
それでも子供達はママが大好きだからママのために頑張っています。私の娘は給食ですが、おやつは持参、そしてある種類の魚や果物などを先生に連絡のうえ食べないようにしています。ところがある日、連絡したもの以外のものを残した、として先生から連絡がありました。それはマーガリンでした。マーガリンも体に悪いから食べなくていいものとなにげなく私が言っていたのを娘が覚えていたのでした。それを私が先生に連絡していなかったから給食の時間に娘がつらい思いをしたのでした。私はそんな娘を愛おしく誇らしく思い抱きしめました。
日本という国は表向きには自由社会ですが、人と違うことをしようとすると見えない何か大きな抵抗を感じます。それが大人でもご近所のお茶会や飲み会などささいなコミュニティで感じるのに、子供の世界はもっと残酷です。
そういう世界でたったひとり頑張る子供を包んで応援し、自分はここにいていいんだと思えるような居場所を「家庭」以外に持つことはとてもとても重要なのだと今回のピアノの先生の行動で感じました。家庭が常に居場所であることはもちろん大切です。しかしそれとは別の「自分がいていい場所・いたい場所」があれば、子供も大人ももっと自分を肯定することができ、なんとか生きていけるのではないかな・・・と思いました。
311は確かに私達に暗い影を落としました。生活観や人生観を一変させられました。でも旬の野菜や自分で作ったものを工夫して食べ続ける生活の喜びや、家族の大切さなどを気づかせてもらったことは、私達にとって人生の大きな宝物になっていくのではないでしょうか。皆様のその思いが、どうか子供達にも伝わりますように。